「なぁ」
「ん?」
「怜さ、結局、夏の終わりまであの格好を貫いたな」
黒セーターにタイトなブルーのジーンズという、実に中性的かつシンプルな格好の怜を後ろから眺め、豪は呟いた。二人は、怜のこの格好以外を見た事が無い。真夏の最中でさえ、である。おそらく、結婚式を挙げる時もこの格好だろうと、二人は冗談半分に考えていた。怜が結婚などと、木星の地表面より想像できないけれども。
豪と筧曰く、まるでスティーブ・ジョブズを連想する格好の怜だが、彼と大きく違う点が二つある。一つは、肩まで伸びるセミロングのサラサラな黒髪。もう一つは、小柄ながらも、同じ理工学部の男子達が落ち着きを無くすほどにスタイルと容姿が良い点だった。
4号館の前を通りかかると、怜は男子に声をかけられた。その4歩後ろを歩いていた筧と豪は、それを静観する。
「お、久々に見るなこの光景」と、豪。
「いや多分、あれは広研じゃない?」と、筧。
「なんで?」
「手にチラシ持ってるし。それに、そろそろ文化祭の準備の時期だし」
「あぁ、ミスコンの勧誘か」
怜は歩みを止めずスタスタと歩き続けるが、声をかける男子はなかなか引き下がらない。
「そろそろやめた方がいいと思うけどな…」
筧の心配は的中した。怜はピタリと足を止めると、無表情のまま鞄からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、蓋をあけて男子の顔にかけた。そして、何事も無かったかのように歩みを再開した。
「うっわ。アレも久々に見たな」
顔から水をしたたらせて、茫然とする男子の前を通り過ぎてから、豪が呟いた。
「アイツ、2年か3年生っぽかったな。さすがにアレは可哀想だろ…筧の彼女、どうなってんだ」
「いや彼女じゃないから」
それに、と筧は続ける。
「『興味ない』『しつこい』『それ以上続けたら、水をかける』ってしっかり警告されたのに無視した、あの男も悪い」
「え、怜の声聞こえたんか?」
「いや。けど、そう言ったんだろうなって事はわかる」
「……なぁ筧」
「なに?」
「改めてさ、よくお前、あの鉄壁の女と仲良くなれたな」
「……たまたま、本の趣味が合っただけだよ」
キャンパスの中を歩いていると、色んな生徒とすれ違う。今にもこの場で宴会を始めそうな陽気な男子グループ。校則で決まっているのかと思えるほど、似たような髪型で統一された女子グループ。わざわざ午後の部活のために着替えるのが面倒で、最初から運動着で登校して来た生徒。研究室に寝泊まりしているのか、地元のコンビニにでも行くみたいなスウェットで歩いている生徒。そして、人目もはばからず、手を繋いでキャンパス内を幸せそうに歩くカップル。
今までの小中高とは明らかに異質な大学の自由な光景を、どこか名残惜しそうに眺めながら、豪は呟いた。
「もうすぐ俺らも卒業だな」
「そうだね」
「いつ怜に告白するんだよ」
「……………」
「好みのタイプくらい聞いたか?」
「『バカは嫌い』だってさ」
「うわ、アイツ言いそう……」
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